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    〜 1997年3月15日〜17日 宴会,秋田旅行日記 〜

 目次

  1 新横浜へ

  2 名古屋へ

  3 長野へ

  4 新潟へ

  5 秋田へ

  6 秋田

  7 帰途

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■■■■■■■■■■■■■■ 1 新横浜へ ■■■■■■■■■■■■■■

 3月15日、土曜日。いつものように、朝5時に目覚めてしまった。

 実は、旅行の準備が完全ではない。そのため、6時には起床の予定であった。
しかし、5時とは。

 できるだけ、ゆっくり、準備をする。

 6時50分、小雨が降っている。一時は鞄にしまった傘を取り出し、出発。

 重い荷物と一緒に雨の中を歩くのは嫌なので、バスに乗った。

 7時13分、戸塚発。モハ112−295:横コツ。

 7時24分、横浜着。今日は、横浜駅には用事はない。すぐに、京浜東北線
のホームへ行く。

 7時27分、横浜発。サハ209−89:東ウラ。

 7時29分、東神奈川着。新横浜へ行くのは、面倒である。普通の人なら、
戸塚から地下鉄に乗ってしまうのであろう。

 7時30分の電車を見送る。急いでも仕方がない。

 7時37分、東神奈川発。モハ205−217:横フナ。横浜線の205系
は、蒲田から大船へ移っている。

 7時45分、新横浜着。戸塚−新横浜間は、地下鉄なら40分である。地下
鉄は、停車駅が多いので、さほど速くはない。

 新幹線の改札口を通り、待合室へ。

 ここで時間を潰すつもりであったが、時刻表をしばらく見て、〔こだま〕に
乗ることにした。

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■■■■■■■■■■■■■■ 2 名古屋へ ■■■■■■■■■■■■■■

 7時51分、新横浜発。37−7531:幹トウ。ビュフェと普通座席の合
造車である。ビュフェは営業しておらず、車内販売の準備室となっている。

 途中の駅で停車するたびに、〔ひかり〕や〔のぞみ〕に抜かれる。

 小雨が降ったり止んだりしている。富士山は見えない。

 10時25分、名古屋着。10時28分に名古屋に着く〔ひかり〕に乗る予
定であったから、ほぼ同じ時刻である。しかし、おかげで、乗り継ぎの列車が
早くなった。

 10時28分、名古屋発。サハ211−5007:海シン。金山までである
から、東海道本線の列車でもよいのであるが、中央本線の方が早かった。

 10時31分、金山着。地下鉄に乗ることにした。

 荷物が重い。

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■■■■■■■■■■■■■■ 3 長野へ ■■■■■■■■■■■■■■

 ひさしぶりで、酒を大量に飲んだ。おや、地震かな。

 この日も、多治見までの同行者がいた。

 名古屋駅には、普通急行券の自動券売機があるが、木曽福島以遠のみの発売
であり、多治見までの普通急行券はない。窓口で買えということらしい。

 私は、乗車券も急行券も、全て準備していた。

 10番ホームへ上がる。けっこう人がいる。一見してスキーとわかる人もい
るが、季節に似合わない軽装の人も少なくない。

 7,8番ホームの先に、ユーロライナー色のEF64が置かれている。ヘッ
ドマークをつけている。“シュプールユーロ赤倉・志賀”となっているが、こ
の日は運転されないはずであるし、運転されるにしても、もう名古屋を発車し
てしまっている時刻である。考えてもわからないので、考えるのをやめた。

 EF65に牽かれて、12系+14系寝台が到着した。先頭の8号車は、け
っこう混んでいる。名古屋で乗車する客も多い。

 とりあえず乗り込み、座席を確保した。

 この人たちは、どこへ行くのであろうか。これも、考えてもわからないので、
考えるのをやめた。

 23時55分、名古屋発。スハフ12 3003:大ミハ。

 3月16日、日曜日。

 窓が曇ってしまい、外が見えない。今、どこを走っているのかすらも、わか
らない。

 かろうじて、神領電車区と神領駅を通過するのを確認することができた。次
が高蔵寺であるから、そこを通過すると山に入る。

 多治見。短かい間の道連れと別れ、一人旅になる。しかし、今日は、4人分
の座席を占領することができない。

 1人分の座席で、仮眠。

 ちゃんと眠ることができたようである。車内放送に気づく。もう松本である。

 大量に乗っていた客は、大半が松本で降りた。松本が目的地であるとは思え
ない。おそらく、新宿から大糸線へ行く〔アルプス〕への乗り換えであろう。

 やっと、4人分の座席を取ることができる状態になった。

 長野まで1時間20分程度であるが、眠ることにした。

 5時26分、長野着。飯山線の気動車に乗ることにした。

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■■■■■■■■■■■■■■ 4 新潟へ ■■■■■■■■■■■■■■

 5時30分、長野発。キハ52 122:長ナノ。昨年の12月8日に乗っ
た列車である。

 5時44分、豊野着。駅は、まだ眠っているが、当直の駅員がいる。

 待合室にはストーブがあり、火が入っている。まだ、寒い季節なのだ。

 外は明るくなってきた。雪はない。

 6時27分。ようやく、駅が活動を始めた。

 上り線を〔シュプール妙高・志賀3号〕が通過。485系+583系の、奇
妙な編成である。

 ようやく、下り列車が来た。

 6時45分、豊野発。クモハ115−1019:長ナノ。

 日陰に雪が残っている。

 ひさしぶりの国道18号。今年は、ここを走ることはない。

 7時15分、妙高高原着。今年は行けなかった赤倉観光ホテルの方を眺めよ
うと、外へ出たが、霧のため見えない。諦めて、列車を待つ。

 上田から、普通列車が到着。妙高高原から、急行〔妙高1号〕となり、新潟
へ行く列車である。

 3両編成の先頭車に乗り込む。発車前に車内改札。

 7時52分、妙高高原発。クモハ165−120:新カヌ。

 列車は、豪雪地帯を走る。さすがに、雪景色になった。

 関山は、昔、スイッチバック駅であった。現在のホームの右側に折り返し線
が見え、発車した後、左に、昔の駅の跡が見える。

 次の二本木は、現在もスイッチバックであるが、急行は停車しない。

 直江津で、乗客が多くなった。

 ひさしぶりの日本海。

 犀潟。右へ分岐する線路がある。こんなところに線路があったっけ。

 そうか。北越急行線(“ほくほく線”)である。ここから、上越線の六日町
へ通じる線である。もちろん、まだ営業してはいない。

 しばらく眠る。

 9時36分、長岡着。朝食を食べていない。“市松寿し”と“鮭の押寿し”
を買い、新幹線のホームへ。

 10時2分、長岡発。E155−103。2階に上がる。

 弁当を食べるには、時間が短かすぎる。ただ、窓の外を見ているだけ。

 10時21分、新潟着。あわてることもないのであるが、羽越本線方面のホ
ームへ。

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■■■■■■■■■■■■■■ 5 秋田へ ■■■■■■■■■■■■■■

 特急〔いなほ3号〕の先頭車の座席を占領し、再びホームへ降りる。

 “小鯛寿司”を買う。なんだか、すしばかり買っているような気がする。

 10時31分、新潟発。クハ481−1029:秋アキ。すぐに、長岡で買
った弁当を広げる。ちょっと遅い朝食。

 また、しばらく眠る。

 羽越本線には、単線の区間も多い。仁賀保−西目間の出戸信号場で、上りの
普通列車と交換。特急列車が運転停車で、普通列車が通過である。

 相変わらず、天気はよくない。鳥海山も全く見えない。

 14時18分、秋田着。見慣れた秋田駅ではない。3月22日に、“秋田新
幹線”が開業するため、ずっと改築をしていたのであるが、その駅ビルの開店
の日に、ぶつかってしまった。

 私が知っている秋田駅は、地上に改札口があり、改札口から、全てのホーム
を見渡すことができるというものであった。新しい駅は、ホームの上に作られ、
近代化されている。どうも、こういう駅は好きではない。

 しかし、仮にも、今回の旅行の目的地の一つである。市内を歩いてみた。

 もちろん、桜の開花は、まだ遠い。

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■■■■■■■■■■■■■■■ 6 秋田 ■■■■■■■■■■■■■■■

 秋田大学の建物は、少しづつ世代交代が行なわれてはいるが、記憶にあるも
のも多く残っている。

 そして、4年間を過ごした寮も、変わっていない。

 寮から、駅の裏の方へ歩く。

 秋田に住んでいた頃はなかった、駅の跨線橋は、卒業後、何度か訪れたので、
知っている。

 しかし、駅が橋上に移った姿を見たのは、今回が初めてであった。橋上駅で
あるから、当然、裏側にも出入口があり、表と裏は自由通路で結ばれている。

 この橋以外に変わったところはない。表側には、イトーヨーカドー、本金西
武百貨店、秋田ビューホテルなど。

 私が大学に入った時、本金西武百貨店と秋田ビューホテル(同じ建物にある)
は、まさに、建設を終えようとしているところであった。

 重い荷物をコインロッカーに納め、大学時代に通った銭湯へ行くことにした。

 駐車場もあり、当時は自動車で行ったものであるが、もちろん、歩いて行っ
ても、場所はわかる。

 何も変わっていなかった。強いて言えば、料金は変わったかもしれないが、
よく憶えていない。

 普段は“烏の行水”タイプであるが、時間が余っていたので、45分くらい
浸かっていた。

 帰りは、さらに輪をかけてゆっくり歩いた。真冬には、髪が凍ることも珍し
くはなかった。秋田にも、春は来ている。

 長風呂をしていたのが、いけなかった。秋田駅の弁当の販売が、終了してい
た。仕方がないので、駅の1階にある、JRのコンビニで、パンなどを買う。

 ついでに、ビールとつまみまで買ってしまった。

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■■■■■■■■■■■■■■■ 7 帰途 ■■■■■■■■■■■■■■■

 おそらく、顔を合わせるのは最後になるであろう、寝台特急〔鳥海〕を待つ。
到着は20時31分なのであるが、20時10分には、ホームへ降りた。

 A寝台車は、最後尾の8号車であるので、その後ろの電源車の写真でも撮ろ
うと、待ちかまえた。

 20時30分、〔鳥海〕が入って来た。でも、何か変である。8号車の後ろ
が電源車ではない。B寝台車が3両挟まっている。団体客でも入ったのであろ
うか。

 今更、最後尾まで走って行く気にもならない。写真は諦めて、A寝台車に乗
り込んだ。

 20時34分、秋田発。オロネ24 9:盛アオ。A寝台に乗車したのは、
自分を入れて2名だけである。車内を見渡すと、下段の5個が埋まっているだ
けである。

 車内改札。車掌が、タオルと歯ブラシと櫛のセットを配る。

 1人で宴会。もちろん、窓の外は闇。

 羽後本荘。A寝台に乗って来る客はいない。隣に、同時刻に発車した、由利
高原鉄道の気動車が並び、やがて、後方へ消えて行く。

 このまま、上野まで、乗る客はいないのであろうか。一晩中見張っているわ
けにもいかないし、せっかく、高い寝台料金を払ったのであるから、眠ること
にした。

 出発前に4冊もまとめて買ったものの、全く開くことがなかった文庫本を、
ここまで来て、ようやく開いた。しかし、じっくり読む気にもなれず、すぐに
消灯。

 3月17日、月曜日。大宮到着の車内放送で目覚めた。

 あわてて着替え、外を見る。結局、A寝台は、下段の6個が埋まっただけで
あったらしい。

 6時12分、上野着。〔鳥海〕との別れを惜しむ暇もなく、通勤電車のホー
ムへ。

 6時18分、上野発。モハ208−63:東ウラ。まだ、客は少ない。

 6時24分、東京着。東海道本線の列車を探す。

 6時31分、東京発。モハ112−2093:横コツ。

 7時19分、戸塚着。これから、アパートへ帰り、折り返しで出勤しなけれ
ばならない。

 幸い、天気はよくなった。

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