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       1997年6月27日〜30日 宴会旅行日記

 目次

  1 急行〔銀河〕(前夜)

  2 急行〔銀河〕

  3 岐阜

  4 名鉄美濃町線

  5 長良川鉄道線

  6 美濃太田から名古屋へ

  7 特急〔出雲1号〕(前夜)

  8 特急〔出雲1号〕

  9 出雲市

 10 特急〔おき3号〕

 11 快速〔やまぐち〕

 12 特急〔あさかぜ〕

 13 帰着

戻る

■■■■■■■■■■■ 1 急行〔銀河〕(前夜) ■■■■■■■■■■■

 6月27日、金曜日、22時28分、アパートを出る。雨は降っていないの
だが、バスに乗る。

 バスは、朝の通勤時間には30分以上かかる区間を、10分もかからずに走
破した。

 戸塚発22時49分。936M。モハ112−270:横コツ。

 上り列車には、空席が目立つ。酔っぱらいが騒いでいる。

 横浜着22時58分。ここで、今夜の宿を待つ。

 EF651000に牽かれた急行〔銀河〕が到着。肩に食い込む荷物を引きずり
ながら、ゆっくりと乗車する。

 横浜発23時26分。101レ。オハネ25 70:大ミハ。

 乗車時間が短いから、すぐに眠りたかったのだが、少なくとも、車内改札が
済むまでは、起きていなければならない。

 幸い、乗務員は、すぐに来た。

 「待ってました」とばかりに、車内改札が済んだとたん、眠りにつく。

戻る

■■■■■■■■■■■■■ 2 急行〔銀河〕 ■■■■■■■■■■■■■

 岐阜着は5時1分であるから、4時40分にアラームが鳴るようにしておい
たのであるが、誰かに呼ばれたような気がして目を覚ましたのは、4時25分
であった。

 列車は停まっている。左側の窓の外には、薄暗い視界の中に建設中の建物が
見える。そして、右側の窓の外には、見慣れたホームがあり、明るい。

 そう、名古屋駅で運転停車をしていたのである。先刻、私を呼んだのは、ど
うやら、名古屋駅のホームだったらしい。

 残念ながら、今は、君と会うわけにはいかない。あと7時間待ってほしい。

 下りのコンテナ貨物列車が、大急ぎで追い越す。そして、まだ眠っている新
幹線の方を、DD51が貨物列車を牽いて、名古屋貨物ターミナルの方へ、ゆ
っくり通過する。

 4時36分、発車予告ベルなど、もちろん鳴らず、静かに発車した。

 外は、もう、暗闇ではなくなっている。五条川信号場を通過する。右はビー
ル工場。どこかで聴いたことがあるような情景であるが、左右が逆だったかも
知れない。

 左右が逆ということは、上り列車から見れば、正しくなることになる。確か
に、上り列車の右の方向には、競馬場があるのだが、見えないのでは歌の文句
にはなりそうにない。

 4時56分、木曽川を越える。何が楽しいのか、こんな時間から、鮎師の姿
が見える。

 左側に、笠松競馬場の厩舎の、小さなコースが見える。青毛の馬が1頭、の
んびりと草を食んでいる。

 岐阜着5時2分。そのまま、ホームで、大阪へ旅立つ列車を見送った。

 上り線を、コンテナ貨物列車が通過する。“CAR RACK”と大きな文
字で表示されたコンテナを積んだ貨車が2両、機関車の直後に繋がれている。
自動車メーカーが乗用自動車をコンテナで輸送するのである。時代は変わり、
鉄道貨物の輸送形態も変わった。

 改札口では、〔銀河〕から降りた客が、改札氏と何か話している。

 特に聞く気はないのだが、自然に聞こえてくる。どうやら、〔のぞみ〕の乗
車券+特急券を持った客が〔のぞみ〕に乗り遅れたため、〔銀河〕の車内で急
行券+寝台券を求めたところ、一緒に乗車券まで売ってしまったらしい。

 有効な乗車券を示しているのに、新たに乗車券を売ったのであるから、誤発
売である。もっとも、すぐに気付かなかった客の方も、どうかと思うが。

戻る

■■■■■■■■■■■■■■■ 3 岐阜 ■■■■■■■■■■■■■■■

 岐阜駅は、古い建物の後ろに新しい建物が建てられた形になっている。線路
は、新しい建物の上を通っている。

 駅前へ出た。タクシー乗り場で暇を持て余しているタクシーの列。そして、
ベンチで寝ている男の姿。もう、外で寝ても風邪などの心配はないであろう。

 腹がへって、どうしようもない。ベンチに落ち着き、前日、戸塚駅で買って
おいた“鯵の押寿し”を、ゆっくりと平らげた。

 新岐阜発の電車は6時。時間がありすぎる。

 駅前には、路面電車の停留所がある。もちろん、まだ電車は走っていない。

 駅前右側の交差点。まだ電車は走っていないというのに、律儀に、黄色の矢
印が点灯する。

 ゆっくり、新岐阜駅の方へ歩く。

 新岐阜駅東口、各務原線ホームの方である。既に駅は営業しているので、乗
車券を買おうと、券売機の上の地図式運賃表を見ると、田神線と美濃町線が描
かれていない。

 どうやら、ある種の“特別扱い”らしい。地図の左に、独立した運賃表があ
った。

 乗車券を買って、後ろの時刻表を振り返ると、美濃町線方面の一番電車は6
時20分とのこと。JTB時刻表に載っている6時の電車は、平日ダイヤであ
った。

 これだけで、予定が大幅に変わってしまうのだが、今日の旅程は、時間が余
っているので、慌てない。

 “ナゴヤドームきっぷ”という往復割引きっぷの広告。名鉄で金山へ行き、
地下鉄に乗り換えるという経路である。金山から大曽根までJRを使わせない
というのは、ご愛嬌。

 5時56分。なつかしいツリカケの音に、PARCOの方を見ると、赤い路
面電車が岐阜駅の方へ通過していく。

 そして、6時4分。今度は徹明町の方へ行く電車が、信号待ち。

 とうとう、雨が降ってきた。

戻る

■■■■■■■■■■■■■ 4 名鉄美濃町線 ■■■■■■■■■■■■■

 ホームへ入る。改札が機械化されてはいるが、少なくとも、各務原線と田神
線,美濃町線のホームは、基本的には昔と変わっていないように見える。

 6時15分、なつかしい独特の顔が入ってきた。モ600のトップナンバー
が、“回送”サボをつけて入ってきた。やっと、再会。

 昭和45年日本車輛製である。もちろん、非冷房で扇風機を装備。1971
年ローレル賞受賞のプレートが誇らしげである。

 新岐阜発6時20分。モ601。ツリカケ音をたてて発車。乗客は8名。当
然のことであるが、車掌が運転士に対して行なう発車の合図は、ベルである。
つまり、“チンチン電車”なのである。

 田神。田神線,美濃町線の電車は、先の方の、ホームが低くなっているとこ
ろに停まる。

 田神線に入り、架線電圧が600ボルトになる。美濃町線の、この芸当がで
きない電車は、新岐阜へ向かうことを許されず、徹明町へ向かわなければなら
ないのである。

 市之坪。車両基地では、モ570、モ590、そして、はるばる北海道から
来たモ870が、出勤前のひと時。モ600を含む、これらの電車が健在なの
は、たいへん嬉しい。もちろん、新しいモ880の姿も見える。

 そして、それらの電車たちの向こうに、黄色地に薄紫色の帯の車体がある。
名城線の1111と1112の車体である。これから大改造を受けて、福井へ
旅立つのであろうか。

 乗務員が2人、乗り込んだ。

 田神線は、単線となって左折し、路面電車となる。

 すぐ後ろを、“回送”サボをつけたモ590が追ってくる。その、さらに後
ろを、モ570が追う。

 競輪場前。市之坪で乗り込んだ2人の乗務員が、降りた。

 モ600と交換。突き当たりの道を、モ590が徹明町の方へ通過する。

 右折して、本来の美濃町線に入る。

 北一色。2名乗車。専用軌道に入る。

 野一色。通票を受け取る。後ろのモ590は、野一色で折り返して徹明町行
きになるようだ。

 琴塚から、国道156号線の歩道の脇を走る。交差点には信号機があり、ち
ゃんと信号待ちをする。

 日野橋。2名乗車。新岐阜行きの満席のモ600、そして、野一色行きのモ
600と交換。通票を2個受け取った。この先、2区間を通して閉塞するとい
うことか。

 駅に近づくと、速度を落とすのであるが、車掌は、ホームに人の姿がなく、
車内にも降りる人がいなければ、停車する前に発車合図を鳴らす。

 岩田坂。乗降がないので通過。

 岩田。1名降車。

 国道156号線と別れ、下芥見。1名降車。交換なし。やはり、2区間を通
しの閉塞である。

 田園地帯を走った後、上芥見から、少しの間だけ、路面右端を走る。

 長良川を渡る。もちろん、ここにも鮎師の姿。

 白金。2名降車。新岐阜行きのモ880、そして、徹明町行きのモ870と
交換。ここでも、通票を2個受け取った。

 国道156号線と再会。

 小屋名。通過しかかったところへ、握り飯を食べながら走って来る少年。1
名乗車。車内で「あー助かった」と洩らす。

 赤土坂。1名乗車。交換なし。

 新田。1名乗車。

 国道156号線と再び別れ、新関。新岐阜行きのモ880と交換。また、通
票を2個受け取った。

 小屋名で駆け込んだ少年が、「傘を忘れた」と騒いで、降りていった。合わ
せて、7名降車。

 また、路面を走る。思えば、郡上八幡,白鳥方面へ行く際に、よく通った道
である。右に、長良川鉄道の関駅と車両が見える。

 道路の左端へ移る。路面を走っているわけではないのだが、道路と軌道との
間にガードレールなどはない。

 下有知。乗降がないので通過。

 道路と別れ、神光寺。1名降車。交換なし。

 再び、田園地帯。松森。乗降がないので通過。

 車掌が、車内で集札をする。

 美濃着7時25分。新岐阜行きのモ880が待っており、7時28分に発車
した。

 小雨の中、駅に写真機を向けていると、地元の人が「珍しいか」と一言。珍
しいに決まっている。横浜にいたのでは、名鉄美濃駅もモ600も、まず見ら
れない。

 長良川鉄道の美濃市駅へ向かう。

戻る

■■■■■■■■■■■■■ 5 長良川鉄道線 ■■■■■■■■■■■■■

 美濃市駅で、名古屋までの乗車券を買う。時間は余っていたし、考えてみれ
ば、美濃太田から名古屋へ行くのであれば、多治見を経由する方が安い。そこ
で、多治見経由にした。

 駅構内に入る。隅の方に、“トロッコ列車”の編成が置かれている。いずれ
も、貨車の改造で、ヨ8000+ヨ6000+トキ25000+ヨ6000+
ヨ8000らしい。ただし、長良川鉄道の車番をつけているようである。

 7時55分、美濃太田行きのワンマン仕様のレールバスが、到着した。

 下りのレールバスが到着。交換。ただし、越美南線の頃にCTC化されてい
たので、通票はなく、色灯式の出発信号機に従う。

 美濃市発8時。ナガラ7。しばらくの間、山の中を走った後、田園地帯を走
る。

 関あたりから、混雑してきた。名鉄の新関で「傘を忘れた」と騒いで降りた
少年が、乗ってきた。

 美濃太田着8時28分。時間が余っているので、すぐに太多線へ行かずに、
しばらく美濃太田駅にいることにした。

戻る

■■■■■■■■■■■ 6 美濃太田から名古屋へ ■■■■■■■■■■■

 駅弁屋サンで売られているのは、“松茸釜めし”だけのようである。さすが
に、1日に1個しか出さない“舟弁当”を入手しようとは思わないが、他の弁
当を売っていても、よさそうなものである。

 ホームで、しばらくの間、発着する列車を眺める。高山本線の特急〔ひだ〕
の姿も見える。

 8時46分に多治見から到着した列車は、ワンマン仕様のキハ11の、なん
と、5両編成である。このうち、200番台車は、東海交通事業が持ち主であ
るらしい。

 そろそろ、多治見へ向かうことにしよう。キハ11に乗り込む。

 美濃太田発9時30分。436C。キハ11 102:海ミオ。

 睡眠不足のため、車内で“ぼ〜っ”としているうちに、多治見に到着する。

 多治見着9時59分。中央本線名古屋方面のホームは、混雑している。

 急ぐことはない。後の列車にしよう。ホームのベンチに座る。

 ここで、ちょっとしたミスに気づいた。

 美濃太田から多治見経由で栄へ行けばよいのだから、名古屋まで行く必要は
ないのだ。千種で降りてしまえば、少なくともJRの運賃は130円安くなる
のである。

 ま、いいや。もう、乗車券を買った後だし、今朝、名古屋駅のホームと、再
会の約束をしてきたのだから。

 多治見始発の普通列車に乗ることにした。

 多治見発10時33分。650M。モハ210−5013:海シン。

 昼間の中央本線は、ひさしぶりである。急行〔ちくま〕で通過する時は、常
光寺−古虎渓付近の山の中は闇なのであるが、今日は、昼間であるから、景色
を見ることができる。

 もちろん、高蔵寺あたりから、街に入ることになる。

 神領電車区。定期運用がなくなった381系が、大量に残っている。

 庄内川を渡ると、左はビール工場。今度は合っている。しかし、右には競馬
場はない。

 新守山で、特急列車の通過待ち。〔しなの〕が通過。

 大曽根。左側の、電機会社の工場の前を過ぎると、ナゴヤドームの屋根が見
える。

 千種。またまた、左はビール工場。どうも、ビール工場にこだわっている。

 金山着11時11分。何を思ったのか、ここで、東海道本線の列車に乗り換
える。

 金山発11時16分。3123M。モハ117−52:海カキ。

 名古屋着11時19分。やっと、名古屋駅のホームとの再会の約束を果たす
ことができた。

 ゆっくり、東山線の乗り場へ歩いた。それでも、栄には、11時30分には
着いてしまった。

 できるだけゆっくり、三越へ歩いた。

戻る

■■■■■■■■■■ 7 特急〔出雲1号〕(前夜) ■■■■■■■■■■

 おぼつかない足取りで酒場を出て、栄へ急いだ。高畑行きの電車は、すぐに
来た。ちゃんと、名古屋駅の改札口にたどり着くことができた。

 改札氏に、現在の〔出雲1号〕の運転状況について尋ねてみる。運休などの
連絡は入っていないとのこと。とりあえず安心して、ホームへ上がった。

 EF651000に牽かれた特急〔出雲1号〕が到着。

 名古屋発23時29分。1001レ。オハネ25 144:東オク。

 この時点で4分ほど遅れている。既に、嵐の影響が出ているのか。

 ともあれ、車内改札が完了するとともに、眠ってしまうことにする。

 0時。大垣あたりで停まった。しかし、そんなことには、かまってはいられ
ない。すぐに発車した。

戻る

■■■■■■■■■■■■ 8 特急〔出雲1号〕 ■■■■■■■■■■■■

 目が覚めた直後は、どこを走っているのか、全くわからなかった。しかし、
停車してはいなかった。

 4時9分、福知山着。あれ、なんで、こんなところにいるんだろう。

 時刻表を見直す。福知山着は2時53分で、発は2時56分である。

 やはり、本格的な、嵐の影響か。

 4時18分、福知山発。

 車内放送によると、山陰本線で事故が発生したため、福知山線を経由したと
のこと。

 また、出雲市着は9時30分頃になるとのことである。

 ま、仕方がない。このまま旅行を続けよう。9時30分頃であれば、少なく
とも、特急〔おき3号〕には間に合う。

 日本海は、穏やかである。

 もう一度、眠ることにした。

 再び目を覚ますと、すっかり明るくなっていた。天気はよい。しかし、濁流
と化した川を渡ったり、屋根に上ってアンテナの修理をしている人を見たりす
ると、嵐の跡を感じる。

 宍道湖も、穏やかである。

 出雲市着9時31分。一畑電鉄バスの乗り場へ行く。

戻る

■■■■■■■■■■■■■■ 9 出雲市 ■■■■■■■■■■■■■■

 出雲大社へ行くバスは、10時である。所要時間は24分。しかし、戻るバ
スの時刻は、わからなかった。

 営業所で尋ねてみれば済むことなのであるが、1つ、ギャンブルをすること
にした。出雲大社へ行くバスの時刻から、戻るバスの時刻を推理しようという
のである。もちろん、勝算があるわけではない。むしろ、どちらかと言うと、
負けるような気がする。

 特急〔おき3号〕が出雲市を発車するのは、11時39分。これに乗り遅れ
ると、旅程を大幅に変えなければならない。使い始めてしまった乗車券類の変
更は、意外に面倒であるし、大損になる虞もある。

 こういったリスクを抱えて、さらに、負けるような気がするのに挑戦すると
は。やはり、私は、ギャンブラーにはなれないであろう。

 ともあれ、10時発のバスに乗り込んだ。

 バスは、街の中を、順調に走る。

 “駅通り”というバス停の手前で、なんとなく右を見ると、国鉄大社線の大
社駅が見える。もちろん、既に廃止された線であり、駅である。

 実は、出雲市で降りた理由の1つは、この大社駅へ行くことであった。その
くせ、大社駅について、予備知識は何もなかった。暴挙である。

 出雲大社の神は、私が顔を出すことを拒んでおられるようであるから、今回
は、出雲大社へ行くことはあきらめることにし、急遽、“駅通り”の次の“吉
兆館前”で降り、1区間、歩いて戻った。

 “駅通り”まで戻り、出雲市駅へ行くバスの時刻表を見ると、10時45分
の後は、12時50分である。

 10時24分に出雲大社に着いていたら、ほとんど何もすることなく、戻り
のバスに乗らなければならなかったわけである。

 もっとも、最後の手段として、11時頃、出雲大社でタクシーをつかまえれ
ば、よかったのであるが。

 いずれにせよ、ギャンブルは、予想どおり完敗だったのである。ともあれ、
大社駅へ急いだ。

 大社線が廃止された後も、この駅だけは、しっかり保存されている。

 束の間、来ない列車を思い浮かべた後、“駅通り”バス停へ戻った。

 往路に乗ったバスが折り返して来たりすると、運転手サンが心の中で不思議
がるかなとも思ったのであるが、違うバスだった。

 かくして、私は、出雲大社の神に追い返されたのである。

戻る

■■■■■■■■■■■ 10 特急〔おき3号〕 ■■■■■■■■■■■

 特急〔おき3号〕の始発駅は、米子であるから、もう、遅れの原因は何もな
い。定刻どおり到着した。

 出雲市発11時39分。1043D。キハ181 32:米トウ。

 思えば、キハ181系に乗るのは、初めてである。3両編成の小さな特急で
ある。

 朝食は、〔出雲3号〕の中でドーナツを食べたのであるが、昼食を準備して
いなかった。

 出雲市駅は“かに寿し”だけだったので、買わなかった。カニ関係は、当り
はずれが激しいので、遠慮しておいたのである。

 松江あたりの豊富な駅弁を積んできてくれれば嬉しいのであるが、3両編成
では、あまり種類は期待できそうにない。

 車内販売が来た。思ったとおり、これから行くはずの益田駅の普通弁当(い
わゆる“幕の内”)と“かに寿し”だけだった。しかし、何も食べないでは、
耐えられそうもなかったので、“幕の内”を買って、速攻で食べた。

 日本海は、さらに穏やかになった。

 益田から、山口線に入る。実は、益田で降りて、普通列車に乗り換えても、
よかったのである。今回の旅行は、私の主義に、ことごとく反している。

 津和野着14時22分。〔やまぐち〕の発車まで1時間あるので、C57の
待機場所まで歩いた。

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■■■■■■■■■■■ 11 快速〔やまぐち〕 ■■■■■■■■■■■

 もちろん、今日の牽引機であるC56 160とC57 1には、火が入って
いる。C57は、転車台がある待機場で、写真機に囲まれ、静かに煙を吐きな
がら休んでいる。除煙板には、満60年記念のプレートが付けられている。

 やがて目を覚まし、転車台で向きを換え、C56の後ろについた。そして、
駅の方へ去っていった。

 駅へ戻り、“かしわめし弁当”を買い、ホームへ入った。

 通常の快速〔やまぐち〕は、5両編成であり、上りは、前から“展望車”,
“欧風”,“昭和風”,“大正風”,“明治風”と並んでいる。車体外装は、
わざわざ、ヘッダーやシルをつけたり、リベットを打ったりしている。また、
内装も、本物の網の“網棚”や、木製の窓枠など、古い車両を再現している。
しかし、正体は12系であるから、冷房が効いていたりする。また、車体は、
裾が絞られたままである。

 今日は、最後尾に、正真正銘の展望車マイテ49 2が連結されている。

 津和野発15時23分。9522レ。オハ12 702:広クチ。

 とりあえず、先頭から最後尾まで歩いてみた。先頭のオハフ13にも展望デ
ッキがつけられている。トンネル内で、ここにいたりすると、ひどい目にあい
そうである。それより、展望デッキと客室の間のドアを開けたままにしておく
と、客室まで煙が入ってくる。

 沿線には、人が集まっている。列車に向かって手を振る。

 しかし、乗ってみて、初めて気づいたのであるが、沿線に住んでいる人にと
っては、単なる大気汚染に過ぎないであろう。この列車のおかげで街が潤うの
だと、割り切っているのだろうか。

 ひとしきり車内を巡った後、座席へ戻り、弁当を食べた。

 指定席は、4席が1ボックスとなっているのであるが、特に混雑していない
限り、相席にはならないようである。私が座ったボックスの残り3席には、誰
も座らなかった。

 それならそれで、後向きになるA席から売らずに、D席から売ってほしいも
のである。

 1時間40分の短い旅が終わり、終点に近づいた。

 小郡着17時2分。そのまま、〔あさかぜ〕を待った。

戻る

■■■■■■■■■■■ 12 特急〔あさかぜ〕 ■■■■■■■■■■■

 山陽本線に乗る機会があったら、宮島口駅の“あなご飯”を食べてみたいと
思っていた。しかし、特急〔あさかぜ〕の停車時間は僅かである。たぶん、買
えないであろう。

 夕食は早く済ませてしまった。特に腹がへっているわけではない。あとは、
ビールでも飲んで眠ってしまおう。

 小郡発17時47分。8レ。オハネ25 205:広セキ。

 食糧は買わずに、乗り込んだ。ラウンジカーの売り上げを伸ばしてあげるの
も、いいだろう。

 私が乗った車両は、他に、1人が乗っているだけであった。

 防府を発車してすぐ、右の方へ分岐する線路跡が見える。その先にカネボウ
の工場がある。その工場の引込線だったのか。

 周防灘も、穏やかである。釣りをする小舟。遠くに、“関鯵”や“関鯖”で
知られる豊予海峡が見える・・・はずがない。

 柳井を発車し、柳井港を通過すると、海の向こうに大きな陸地が見える。大
畠付近で、線路と海をまとめて渡る、緑色のトラス橋を見て、初めて、海の向
こうの大きな陸地が島であることを知る。時刻表の索引地図に、ちゃんと描か
れている。と言うことは、このあたりから瀬戸内海なのか。

 小さな港の防波堤で釣りをする人々。

 小さな島々をちりばめた瀬戸内海は、さらに穏やか。

 海側、右側に、白と赤の、船の形をした建物。“由宇町歴史民族資料館”と
いう看板がある。

 右側に、ドーム型の体育館を見て、由宇を通過。

 このあたりには、なぜか、ハスの葉が目立つ。ぽつりぽつりと花も咲いてい
る。蓮根が名産物なのだろうか。

 港の中でボラが跳ねるのが見える。

 南岩国駅の裏は、一面のハスの葉。沿線にもハス田が多い。

 岩国。115系なのに2扉の3000番台車が停まっている。

 右側から、引込線とおぼしき線路が寄り添ってきて、大竹で合流する。

 暗くなってきた。しかし、まだ、穏やかな瀬戸内の水面ははっきり見える。

 宮島口。予想どおり、ホームには駅弁はないし、停車時間は僅かである。し
かたがない。

 ラウンジカーで、350ミリリットル缶を2個と、ドライソーセージと、イ
カの薫製を買い、席へ戻る。

 右側から、広島電鉄線が寄り添ってきて、しばらく併走する。広島が近い。
五日市を通過したところで、広島電鉄の電車を抜いた。連接構造の小ぢんまり
とした電車である。

 広島。ホームの駅弁屋サンは、〔あさかぜ〕が到着すると同時に、シャッタ
ーを閉めてしまった。

 外は、すっかり暗くなった。

 瀬野を通過。ここから、有名な“瀬野八”の難所になるのであるが、なにし
ろ、旅客列車であり、牽いているのはEF66である。難所でも何でもない。
多少、速度が落ちたような気がしないでもないが。

 明日は、また早起きをしなければならないので、このへんで寝ることにしよ
う。

戻る

■■■■■■■■■■■■■■ 13 帰着 ■■■■■■■■■■■■■■

 6時15分。頭上を通過する車内販売の声で、目を覚ました。どこを走って
いるのか、即座にはわからなかった。小田原付近か。タッチの差で、もう、海
が見えない区間に入ってしまったようである。

 通過する駅に、通勤客の姿が多い。私も、あと2時間もすると、仲間入りを
しなければならない。

 小田急線をくぐり、藤沢を通過。大船電車区。〔成田エクスプレス〕253
系も、出勤である。

 大船を通過。自動車学校の向こうに、相変わらず、モノレールのレールだけ
が残っている。

 車内ではしゃいでいる就学前とおぼしき男の子は、“小田急”,“東急”,
“東海道線”などといった言葉を、実に正確に発音する。

 横浜着6時59分。一旦、アパートへ戻るため、東海道本線下りで戻る。

 横浜発7時9分。731M。モハ113−2064:横コツ。

 戸塚着7時18分。

 疲れた体に荷物が重いので、バスに乗った。

戻る